電気の歴史

電気の歴史を見てみよう

私たちが普段使っている「家電」を動かすのには「電気」が必要ですね。電気っていつからあるんだろうって思うよね。実は、みんなで電気を使えるようになるまでに色々な発見や発明の歴史があるんだね。見てみよう。

紀元前660年

静電気の発見

紀元前660年頃(※1)ギリシャの哲学者ターレスが、琥珀石(※2こはくいし)を布でこすると、糸くずや羽根など軽いものが吸い寄せられることに気がついた。これは、静電気によるもので、「摩擦電気」という静電気の現象なんだ。髪の毛を下敷きでこすると髪の毛がくっつくのもこの「摩擦電気」なんだ。

電気のことを英語でelectricity (エレクトリシティ)というが、これは琥珀(エレクトロン)が語源にもなっている。

※1 紀元前とは、西暦の元年より660年昔、つまり今から2680年くらい前。

※2 琥珀石(こはくいし)とは、樹液や松やにが固まった化石のこと。太古の昆虫が琥珀の中に閉じ込められている化石も多く見つかっている。

タレスの定理

ターレスといえば、数学でも習う「タレスの定理」が有名。
円の上の3つの点で三角を作る。そのうちの1つ線が「円の直径」であれば、角が90度になっている。

1746年

静電気をためることに成功

ライデン瓶とは、1746年にオランダのピーテル・ファン・ミュッセンブルークが発明した電気を静電気をためておく容器。今のコンデンサーのようなもの。

1752年

カミナリは電気だ

アメリカの科学者ベンジャミンフランクリン(※)雷雲に凧を飛ばして、自然現象の雷の正体が、電気による放電現象だと発見した。

先の尖った金属に雷が落ちやすいという発見から避雷針を発明した。

金属の鍵と凧を電気を通しやすい麻ヒモを凧糸に使いつなげる。

凧の針金に電気が通ると凧糸を通り、鍵からライデン瓶に電気がたまる。

※ ベンジャミンフランクリンは、アメリカ独立宣言の起草者の一人で、アメリカ100ドル紙幣の肖像にもなっている。

1770年

ライデン瓶は日本にも来ていた。

ライデン瓶を使った静電気を起こし、その静電気をためておける装置が発明され、主に、見せ物や電気療法に使われていた。

1770年の江戸時代に、その装置が当時オランダと交易が可能だった長崎に渡り、平賀源内が手にすることになった。これが有名なエレキテルです。

1786年

ガルバーニのカエル

※ 外壁材に使われる、ガルバニウム鋼板は亜鉛メッキのガルバニゼーションからきておりさらにガルバーニ氏の名前からの由来である。他にもガルヴァーニの名は、ガルバニ電池、ガルバニ電位、ガルバニック腐食、ガルバノメーター(検流計)、ガルバニピンセットに残っている。

イタリアの動物学者 ガルバーニさんが、カエルの解剖中に2種類の金属で触れた時に足が動いた。カエル自身が「生体電気」という電気を発しているのではないかと考えた。しかし、それは誤りであったが、同時代人のボルタの電池の発明のきっかけになった。

1800年

世界初!電池誕生

1800年ごろにイタリアのボルタによって発明された。 亜鉛板と銅板を電解液(希硫酸)に浸した電池をボルタ電池という。これは史上最初の電池でした。

ガルバーニさんの発見である生体電気に疑問を感じ、金属が電気を出していると考えた。亜鉛板と銅板と塩水で湿らせた布を交互に重ねたボルタ電堆を作る。

レモンで電池ができる!

レモンに亜鉛版と銅板をさすと電気が流れる。これは、ボルタ電池と同じ原理なんだ。レモン汁が電解液となり亜鉛を溶かし電気が流れる。レモン一個では電気が弱いけど何個か繋げると電球もつくんだよ。レモン以外にもグレープフルーツも電池になるね。

1820年

磁力線の発見

フランスの物理学者、数学者アンドレ=マリ・アンペールが、右ねじの法則という、電流と磁界の法則性を発見した。

右ねじの法則

直線状の電流が流れると、この電流を取り巻くように、円形の磁界が発生する。 このときの電流の方向と磁界の方向に一定の関係があり、電流の流れる方向に右ねじを進めると、ねじの回転する方向が磁界の方向を示している。 これをアンペアの右ねじの法則という。

同時期のデンマークの物理学者ハンス・クリスチャン・エルステッドも同じような磁界の働きに着目しており、共に電磁気学の創始者として讃えられている。

1831年

磁力線の発見

イギリスの化学者・物理学者マイケル・ファラデーは、コイルのそばで磁石を動かすと電気が発生することを発見。電磁誘導の法則を発見した。

発電機や無線機などの発明へとつながるノーデル賞級の発見を残している。

1879年

電球の発明

竹のフィラメントを用いた電球を発明。電球をみんなにも使ってもらうために電気の供給システムも作りました。電球には直流電流で発電する方法を進めていました。

エジソンさんの発明

(代表的な発明品です。)

1868年:電気投票記録機
1869年:株式相場表示機
1877年:電話機・蓄音機
1879年:電球
1880年:発電機
1888年:改良型蓄音機
1891年:のぞき眼鏡式映写機キネトスコープ
1897年:改良映写機ヴァイタスコープ
1910年:トースター

1882年

交流発電を発明

クロアチア共和国で生まれたテスラは、二相交流モーターを開発し交流発電を推進した。

「グラム発電機(発電機とモーターの機能を併せ持つ直流電流の発電装置)」がモーター回転時に火花を発しているのを目にしたテスラは、そこにエネルギーの損失が起こっていることを見抜き、発電方法の改善を考えはじめます。そのわずか5年後には、世界ではじめての交流電流の発電装置を発明(二相交流モーター)。テスラは、これをもとに交流電流による発電・送電のアイデアを発展させていきました。

テスラをテーマにした映画

映画「テスラ エジソンが恐れた天才」
1884年、ニューヨーク。移民のテスラは、憧れの人物・エジソンのもとで働き始める。しかし、送電方式をめぐって2人は対立。決別の末に独立したテスラは、とある実業家と手を組み、シカゴ万国博覧会で成功を収める。やがて大財閥から莫大な資金を得た彼は、無線の実現に挑戦。

1889年

電流戦争

電気の供給システムの発電と送電は、エジソン派の直流かテスラ派の交流かという電力供給市場の争いがありました。

直流電流

直流電流とは、電気が電線の中を流れるとき、電気の流れる向きや電気の大きさ、勢いが変化しない電気の流れ方をいいます。電気は常に一方通行で変化しません。

交流電流

交流とは、電気の流れる向き、電流、電圧が周期的に変化している流れ方です。 具体的には、同じリズムで電気が向きを交互に変えながら流れる電気の流れ方です。

電流戦争の結果

結局、交流の方が扱いがしやすく、直流への変換が容易なため交流の発電が主流となった。

映画にもなった電流戦争

エジソンとテスラの電流戦争をテーマにした映画「エジソンズゲーム」という作品を見るともっと当時の雰囲気がわかりやすい。

1889年

日本で最初に電気がついたのは●●●

1882年(明治15年)東京の銀座で日本初の電気の街灯(アーク灯)の点灯が行われました。ロウソク2000本分の明るさの電燈が灯り、その明るさに卒倒する見物人も出たほどでした。

アーク灯ってなあに?

放電を利用した電灯。向き合った二本の炭素棒に電流を通ずると、その間に白熱光を出す。

体育館など広い空間を照らすのには、蛍光灯よりも効率が良かったが、製造中止が進み、徐々にLEDライトに変わっている。

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